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密航のち洗濯 ときどき作家 / 宋 恵媛、望月 優大

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1946年夏。朝鮮から日本へ、男は「密航」で海を渡った。 日本人から朝鮮人へ、女は裕福な家を捨てて男と結婚した。 貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。 朝鮮と日本の間の海を合法的に渡ることがほぼ不可能だった時代。それでも生きていくために船に乗った人々の移動は「密航」と呼ばれた。 1946年夏。一人の男が日本へ「密航」した。彼が生きた植民地期の朝鮮と日本、戦後の東京でつくった家族一人ひとりの人生をたどる。手がかりにしたのは、「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わずかに残された文書群。 「きさまなんかにおれの気持がわかるもんか」 「あなただってわたしの気持はわかりません。わたしは祖国をすてて、あなたをえらんだ女です。朝鮮人の妻として誇りをもって生きたいのです」 植民地、警察、戦争、占領、移動、国籍、戸籍、収容、病、貧困、労働、福祉、ジェンダー、あるいは、誰かが「書くこと」と「書けること」について。 この複雑な、だが決して例外的ではなかった五人の家族が、この国で生きてきた。 蔚山(ウルサン)、釜山、山口、東京―― ゆかりの土地を歩きながら、100年を超える歴史を丹念に描き出していく。ウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』初の書籍化企画。 【洗濯屋の家族】 [父]尹紫遠 ユン ジャウォン 1911‐64年。朝鮮・蔚山生まれ。植民地期に12歳で渡日し、戦後に「密航」で再渡日する。洗濯屋などの仕事をしながら、作家としての活動も続けた。1946-64年に日記を書いた。 [母]大津登志子 おおつ としこ 1924‐2014年。東京・千駄ヶ谷の裕福な家庭に生まれる。「満洲」で敗戦を迎えたのちに「引揚げ」を経験。その後、12歳年上の尹紫遠と結婚したことで「朝鮮人」となった。 [長男]泰玄 テヒョン/たいげん 1949年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校、上智大学を経て、イギリス系の金融機関に勤めた。 [長女]逸己 いつこ/イルギ 1951年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校を経て、20歳で長男を出産。産業ロボットの工場(こうば)で長く働いた。 [次男]泰眞 テジン/たいしん 1959‐2014年。東京生まれ。兄と同じく、上智大学卒業後に金融業界に就職。幼い頃から体が弱く、50代で亡くなった。 ◎目次 プロローグ 密航 1946 第1章 植民地の子ども  1 朝鮮 1911‐24  2 日本 1924‐44  3 朝鮮 1944‐46 送還 1946 第2章 洗濯屋の家族  1 尹紫遠 ユン ジャウォン  2 大津登志子 おおつ としこ  3 泰玄 テヒョン たいげん  4 逸己 いつこ イルギ エピローグ 補遺 密航の時代 ◎プロフィール 宋恵媛〈ソン・ヘウォン〉 博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ソミョン出版、2019年[韓国])、編著に『越境の在日朝鮮人作家 尹紫遠の日記が伝えること』(琥珀書房、2022年)、『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等。 望月優大〈もちづき・ひろき〉 ライター。著書に『ふたつの日本——「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書、2019年)。認定NPO法人難民支援協会が運営するウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』の編集長を務める。様々な社会問題に取り組む非営利団体の支援にも携わっている。 田川基成〈たがわ・もとなり〉 写真家。長崎県出身。土地と記憶、移民と文化などをテーマに作品を撮る。千葉に暮らすムスリムのバングラデシュ移民家族の5年間の生活を写した「ジャシム一家」で第20回三木淳賞。故郷・長崎の離島沿岸部への約4年に渡る旅を記録した写真集『見果てぬ海』(赤々舎)で2022年日本写真協会新人賞を受賞。『ニッポン複雑紀行』で撮影を担当する。 著者:宋 恵媛、望月 優大 写真:田川 基成 出版元:柏書房 表記:日本語 H188mm×W128mm/366P/2018 *Overseas shipping OK *Free shipping on orders over ¥ 10,800 in Japan only. Overseas shipping charges apply.

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